日本七霊山の一つ霊峰石鎚山を神体山(神しずまります山)とする御社にて、山頂に頂上社、中腹(7合目)に成就社と土小屋遥拝殿、そしてJRや国道近くに位置する本社の、四社をあわせて石鎚神社といいます。
石鎚信仰の母体、関西第一の高峰霊峰石鎚山(1982メートル)は、飛鳥時代(685年)に、役の行者(役小角・えんのおづぬ)によって開山されました。
その後、寂仙菩薩(じゃくせんぼさつ)が石鎚蔵王大権現(いしづちざおうだいごんげん)と称えて深く信仰。
山路を開き、登拝者を導き、常住社(じょうじゅうしゃ・今の中之宮成就社)を創立するに至りました。
その後、四国八十八ヶ所第六十番札所の横峰寺(よこみねじ)、同じく第六十四番札所の前神寺(まえがみじ)が常住社の別当寺(べっとうじ)となって、幕末、明治維新を迎え同時に明治天皇の大命により、神仏混淆が禁止され、別当寺が廃止となり石鎚神社と定められました。
しかしながら、現在も永く深い信仰をものがたるかのように、神仏混淆が色濃く残っています。
かつて弘法大師も石鎚山で修行したと伝えられ、桓武天皇、文徳天皇、武将としては源頼朝、河野家一族、豊臣家一族の厚い信仰があり、慶長十五年豊臣秀頼公により、中之宮成就社が御造営されました
不屈の精神を培い、物事の成就を祈り、またその願い事を叶えるお社、それが文字通りの「成就社」であり、表石鎚の成就の地名の由来でもある。
ご祭神について 石鎚毘古命:伊邪那岐命と伊邪那美命の御子、家宅六神のひとつ、石と土(壁土)を司る
札所等:役行者霊蹟札所





