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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。

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崇神天皇(すじんてんのう)第10代天皇

祭祀、軍事、内政においてヤマト王権国家の基盤を整えたとされる御肇国天皇

崇神天皇(すじんてんのう)第10代天皇名は、御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)天皇
祭祀、軍事、内政においてヤマト王権国家の基盤を整えたとされる御肇国天皇。
生まれ: 紀元前150年
死去: 紀元前30年、崇神天皇68年 120歳
両親: 開化天皇、 伊香色謎命
皇后: 御間城姫(孝元天皇皇孫)
子女: 垂仁天皇、 豊鍬入姫命、 豊城入彦命、 八坂入媛命、 渟名城入姫命、 八坂入彦命、 十市瓊入媛命、 倭彦命、 国方姫命、 千千衝倭姫命
崇神天皇崇神天皇の時代になり、疫病が大流行した。
町には死体があふれ、国が滅びそうになっていて、崇神天皇は困っていた。
神のお告げを請うために、清めた神をまつる床「神床」で神託を仰いでいた。
すると、大物主が夢に現れた。
大物主が言うには、この疫病は自分のせいだと言う。
意富多多泥古オホタタネコに私を祀らせたらこの疫病は鎮まり、国も平和になるだろうと言って消えた。
その時、大和の三輪山の上に祀ったが、そのあと手入れがされてなくなった、そのせいで疫病を流行らせた。
第10代天皇崇神天皇は早速、意富多多泥古オホタタネコを探させた。
すると河内の美努村(みのむら)で見つかったので、宮廷に呼び出した。
そこでお前は誰かと尋ねると大物主の子孫だった。
こうして、大物主神のお告げにより、意富多多泥古オホタタネコは大神(おおみわ)神社の神主となり、三輪山に大物主神を奉った。
すると、疫病は収まり国に平和がおとずれた。

この時代、大毘古命(オオビコノミコト)を高志道(コシノミチ=越国)に、大毘古命(オオビコノミコト)の子供の建沼河別命(タケヌナカハワケノミコト)を東方の12の国に派遣して反抗的な者たちを帰順させた。

大毘古命(オオビコノミコト)が越国に行った時、裳をつけた少女が立って歌を歌った。
「天皇を殺すつもりの怪しいものが裏の戸から行き違い、表の戸から行き違い狙われているのも知らないとわ…」こんな歌を歌うので少女に尋ねるけど少女は何も言ってない、歌っていただけといい消えてしまった。おおびこのみこと
大毘古命(オオビコノミコト)は引き返し崇神天皇に歌のことを伝えた。
すると崇神天皇は、山代国にいる大毘古命(オオビコノミコト)の義兄である建波邇安王(タケハニヤスノミコ)が反逆の兆候だろうから、日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)を副官にして討つよう伝えた。

大毘古命(オオビコノミコト)と建波邇安王(タケハニヤスノミコ)は和訶羅河(ワカラガワ)を挟んで向かい合い、戦争が始まった。
日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)が射った矢が建波邇安王(タケハニヤスノミコ)に当たりもろくも死んでしまった。

大毘古命
(オオビコノミコト)は祟神天皇の命令通りに、高志国(コシノクニ=越国)へと行きそこで東へ派遣された息子の建沼河別命(タケヌナカハワケノミコト)と相津で合流した。
これで各地域の平定を終えて、天下は平和になって、人々は豊かになって、栄えた。
これをたたえて「所知初国御真木天皇(ハツクニシラシシミマキノスメラミコト)」と言った。

崇神天皇を祀る神社
は、主に墨坂神社、大和神社、そして崇道天皇社など。
墨坂神社:崇神天皇が疫病を鎮めるために創建したと伝えられる神社。
「日本最古の健康と安全の神」として信仰されています。
主祭神は墨坂大神(六神)で、疫病平癒の祈願祭も行われています。
大和神社:崇神天皇の時代に、皇居内に祀られていた大国魂大神を祀る神社。
国土(土地)の守護神として、産業の啓発と繁栄を司る。
式内明神大社として、古くから崇敬を集めています.
崇道天皇社:桓武天皇の皇太弟、早良親王(崇道天皇)を祀る神社。
お彼岸の発祥の地としても知られています。
本殿は国の重要文化財に指定。
白峯神宮:は、崇徳天皇と淳仁天皇を祀る神社。
伊勢神宮(内宮)の天照大御神も、元々は崇神天皇の御代に宮中から出された。

実在性:崇神天皇は、神武天皇から開化天皇までの天皇が架空の人物とされている中で、実在性が高いとされています。
在位期間:在位期間は68年、119歳(または168歳)で崩御した。
業績:祭祀の充実:天照大神を豊鍬入姫命に託して伊勢に祀らせるなど、祭祀を重視しました。
国家組織の整備:四道将軍を派遣し、大和国家の拡大に努めました。
内政:池溝を開き、農業の利便性を高めるなど、内政面でも活躍しました。
疫病の鎮圧:疫病が流行した際には、墨坂神社を創建し、疫病を鎮めるための祭祀を行いました。
纒向遺跡:奈良県桜井市の纒向遺跡は、崇神天皇の時代に大和王権の宮都があった場所として有力視されており、実在性を裏付ける考古学的証拠の一つとされています。

崇神天皇は、日本神話に登場する天皇の中でも、実在性が高く、国家形成に重要な役割を果たした人物とされています。祭祀の充実や国家組織の整備、内政面での活躍など、多岐にわたる業績が伝えられています。

関連

  • 大物主
  • 建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと/武渟川別命)は、地方平定に派遣された四道将軍の一人です。阿倍氏の祖とされ、国家形成の初期に重要な役割を担いました。
  • 意富多多泥古(おおたたねこ):大物主神の子孫。三輪山の神主(かんぬし)
  • 大毘古命(おおびこのみこと):第8代孝元天皇の第一皇子であり、四道将軍の一人として北陸方面を平定した。阿倍氏や膳氏などの祖
  • 建波邇安王(たけはにやすのみこ):第8代孝元天皇の皇子であり、第10代崇神天皇に対して謀反を起こした。
  • 日子国夫玖命(ひこくにふくのみこと、別名:彦国葺命)は、和珥氏(わにうじ)の遠祖とされ、彦国葺命では垂仁天皇の時代の五大夫の一人として登場する古代の豪族
  • 垂仁天皇(すいにん)