一遍(いっぺん)
生まれ: 1239年3月21日, 愛媛県 松山市
死去: 1289年9月9日, 兵庫県
祖父: 河野通信
埋葬地: 兵庫県 神戸市 真光寺
両親: 河野通広鎌倉時代中期の僧侶。

鎌倉時代の僧侶で、踊り念仏で知られる「
時宗」の開祖です。伊予国(愛媛県)の豪族河野家の出身で、幼少期から悲運を経験し出家しました。全国を遊行(ゆぎょう)して「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と書いた念仏札を配る「賦算(ふさん)」や、太鼓や鉦に合わせて踊りながら念仏を唱える「踊り念仏」で民衆に救済の道を説き、自らは一切の所有物を捨てる「捨聖(すてひじり)」としても知られました。
法然の弟子である聖達(しょうたつ)に念仏の教えを学びました
信濃国の
善光寺、伊予国の窪寺、紀伊国の
熊野本宮などで参籠修行を行い、独自の悟りを開きました。
一所不在の遊行生活:衣食住、家族、土地などをすべて捨て、全国を旅する生活を送りました。
「捨聖」と呼ばれる:自身のすべてを捨てた生き方から、「捨聖(すてひじり)」という異名で呼ばれ、民衆から尊崇されました。
「十二光箱」:背中には最低限必要なものを入れた「十二光箱」を背負っていました。
主な布教方法
賦算(ふさん):「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と書いた紙札を人々に配り、念仏を勧める方法です。
踊り念仏:太鼓や鉦の音に合わせて踊りながら念仏や和讃を唱えるもので、熱狂的な人気を博しました。
時宗の開祖
「南無阿弥陀仏」への深い信仰:一切の衆生(しゅじょう)が「南無阿弥陀仏」を唱えれば必ず救われるという「一向専念無量寿経」の教えに基づき、念仏に生涯を捧げました。
全国への広がり:彼の教えは弟子たちによってまとめられ、特に「一遍上人絵伝」や「一遍上人語録」などによって後世に伝えられています。
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