古くは「金丸八幡宮」とも呼ばれ、源平合戦で有名な那須与一ゆかりの古社です。仁徳天皇の時代に創立され、坂上田村麻呂が応神天皇を祀ったとされ、那須氏や黒羽城主大関氏の氏神として崇敬されてきました。
旧社格は郷社
延暦年中(782〜806)には、
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が
宇佐八幡宮の御霊を勧請して八幡宮に改めたとされ、「八幡神」を祀る神社として地域の人々の信仰を集めてきました。
那須与一宗隆(なすのよいちむねたか)が源平の内乱に際して当社に戦勝祈願を行い、その後文治3年(1187)に社殿を建造したとされ、以来那須氏累代の氏神として、さらに戦国時代から近世を通じては黒羽藩主大関氏の氏神として厚く崇敬されてきた、歴史と由緒のある古社です。
主祭神:
応神天皇
仁徳天皇(313〜399)の時代に下野国造(しもつけくにのみやつこ)の
奈良別命(ならわけのみこと)が下野国の鎮護のために金瓊(きんけい)(黄金の玉)を埋めて塚を築き、祠を建立したことに始まるといわれています。
商売繁昌や家内安全、病気平癒、身体健全、縁結びなどのご利益
2025年3月




- 応神天皇第15代天皇
- 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、今から1200年ほど前の平安時代初期の武将で、征夷大将軍として蝦夷【えみし】(現在の東北地方)を討伐した人物です。
奈良から平安時代にかけて、朝廷は、敵対(あるいは反抗)する蝦夷に対して度々東征していました。
- 那須与一宗隆は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍したとされる武将です。彼は「源平屋島の戦い」で、源義経の命により、海上に立つ平家方の船の上の扇の的を馬上から一矢で射落としたことで特に有名です。この話は『平家物語』などに記され、能や語り物など多くの後世の作品の題材となりました。
- 奈良別命(ならわけのみこと/奈良別王)は、古代日本の豪族であり、下毛野国造(しもつけのくにのみやつこ)として知られる人物です。現在の栃木県南部にあたる下毛野国を統治しました。後に那須国(栃木県北部)と合併し、令制国の下野国となります。
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