記紀によると渡来人を用いて国家を発展させた
・応神天皇(おうじんてんのう):
鶴岡八幡宮、
那須神社、
気比神宮、
忌宮神社、
住吉神社、
伊佐爾波神社、
筥崎宮、
宝満宮竈門神社、
千栗八幡宮、
柞原八幡宮、
藤崎八旛宮
別称
・品陀和気命(ほんだわけのみこと)古事記:
函館八幡宮、
琴弾八幡宮、
鹿児島神宮
・誉田別命(ほんだわけのみこと):
石都々古和気神社、
那須温泉神社
・誉田別尊(ほんだわけのみこと)日本書紀:
石清水八幡宮
・誉田別名(ほむたわけのみこと):
佐良志奈神社
・八幡神(やはたのかみ/はちまんしん):
櫻山八幡宮
・八幡大神(はちまんおおかみ):
宇佐神宮

生まれ: 西暦201年1月5日, 福岡県 宇美町
死去: 西暦310年3月31日, 奈良県 橿原市 109歳?
第15代天皇。
第十四代の仲哀天皇と
神功皇后の子供。
複数の妻がいますが、主要な妻は皇后の
仲姫命(なかつひめのみこ:
鹿児島神宮)と、大和(やまと)の妃の一人である
宮主宅媛(みやぬしやかひめ)です。仲姫命との間に
仁徳天皇を儲けた。
子女:
仁徳天皇、 菟道稚郎子、 稚野毛二派皇子、 八田皇女、 衣通姫、 隼別皇子、 雌鳥皇女、 草香幡梭皇女
農業の発展を重視し、税制度を整備して国家財政を安定させました。また、朝鮮半島との交流を深め、渡来人を通じて技術や文化の導入を促進しました。
中世以降は軍神八幡神としても信奉された。
神の宣託に背いて死んだ
仲哀天皇の子供、とされるが、
神功皇后と神の子供とされる。皇后の腹の中にいるときから、「王」となることを宿命づけられ、「王神」⇒「応神」となったといわれている。
皇后に活躍の場を奪われたのか、王として産まれたはずの応神天皇だが、産まれてからは大した活躍もありません。
応神天皇の時代は中国の文化も入っていて、かなり発展した時期だから、応神天皇は特別な天皇ではあります。応神天皇が本領を発揮するのは、八幡神と神仏習合してから。
子供に
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)と
第16代仁徳天皇がいる。菟道稚郎子は文字を朝鮮から来た王仁に習ったとされる。名前を
ケヒ神と交換したとも。

系列の神社が八幡様=応神天皇。これは武士がとった初めての政権「鎌倉幕府」の源氏が八幡様を信仰したことから、武士がこぞって八幡様を祀ったことが理由。
吉野の国主たちが、朝廷に土地の産物を歌いながら献上した。
この応神天皇の時代に海部・山部・山守部・伊勢部などの制度が定めた。
また、灌漑用水のための剣の池(つるぎのいけ)が作った。
また、新羅の人がやって来て、
建内宿禰(タケウチノスクネ)がこの者たちをひきつれ百済池も作った。
百済の王、照古王(ショウコオウ)が雄と雌の馬を一頭づつと、太刀と大鏡も献上してくれた。応神天皇はさらに百済の国に賢人がいたらその人もよこすように言った。
すると和邇吉師(ワニキシ)という人が、「論語」10巻と、「千字文(せんじもん)」を1冊持って来た。
さらに鍛治師や、呉服(くれはとり)とよばれる織物の技術師、酒の醸造に巧みな人、いろいろな者が海を渡ってやってきた。

酒の醸造家ススコリが、酒を醸して応神天皇に献上したので、応神はついつい飲みすぎてしまい酔っ払ってしまて陽気な気分になった。
ふらふらと出かけたが道の真ん中の石を杖で打ったところ石が逃げた。
そこから「
硬石も酔人を避くる」ということわざができた。
応神天皇が亡くなったので、
大雀命オオサザキ(第16代
仁徳天皇)は天皇がきめたとおり腹違いの弟、宇遅能和紀郎子ウヂノワキイラツコに天下をゆずったが、腹違いの兄の
大山守命オオヤマモリが天下を自分のものにしようと企んでいた。
大雀命オオサザキはこれをすぐに
宇遅能和紀郎子ウヂノワキイラツコに知らせた。
驚いた宇遅能和紀郎子ウヂノワキイラツコは、兵を宇治川の近くに潜ませておき、宇治の山の上に自分の偽者を座らせ、まるきり自分が山の上の居るように見せた。
さらに、大山守命オオヤマモリが川を渡るための船にサネカズラという植物の根を砕いて作ったぬるぬるの汁を塗って、滑って転ぶように細工した。
宇遅能和紀郎子ウヂノワキイラツコは小汚い服に着替え、舵を取って船に立っていたら大山守命オオヤマモリが船に乗ってきた。
大山守命オオヤマモリも兵を隠し服の下に鎧をきていたけど、船に乗り込んでも、船頭が
宇遅能和紀郎子ウヂノワキイラツコと気づかずに話しかけた。
この山に、怒り狂った猪がいると聞いたが、この猪を狩れるだろうか?と船頭にきくと船頭は今まで、何度も捕らえようとした者はいたが獲ったものはいなので無理でしょうと答えた。
船が川の真ん中まできたところで変装した船頭は、船を傾けて大山守命オオヤマモリを水の中へと落とした。
大山守命オオヤマモリは水中に落ちたけど、すぐに浮き上がってそのまま川に流されていった。
流されながら「助けてくれ」と歌を歌ったけど隠れていた兵士たちは誰も助けることができず流されていって沈んでしまった。
沈んだ辺りを探ってみると、大山守命オオヤマモリが服の中に着込んだ鎧に引っかかり『カワラ』と鳴ったのでその地を「カワラ」と呼ぶようになった。
大山守命オオヤマモリの遺体は奈良山に埋葬した。

そして、
大雀命オオサザキと
宇遅能和紀郎子ウヂノワキイラツコはお互いに皇位を譲り合っていた。
そこへ海人(あま)が食事を献上しに来たけど、譲り合ったまま何日も過ぎて行ったり来たりの海人(あま)は疲れたのと、魚が腐ってしまったことで泣きだした。
そこから「海人は自分が持っているものゆえに泣く」という諺ができた。これは、普通は何かが欲しくて泣くのに、持て余して泣くという意味。
結局、宇遅能和紀郎子ウヂノワキイラツコは早くに亡くなってしまったので大雀命オオサザキが天下を治めた。
農業の発展:農作物の生産性向上を目指す施策を実施しました。
税制度の整備:国家財政の安定化を図りました。
渡来人の受け入れ:朝鮮半島から多くの渡来人を迎え、養蚕、織物、灌漑、治水技術、漢字、学問などを伝えさせました。
武内宿禰の活躍:妃の兄媛とともに吉備に行幸し、吉備国を5つの県に分け、それぞれを封じました。
太子制度の確立:皇子の
菟道稚郎子(うじのわきいらつこのみこと)を太子とし、
大山守命や
大鷦鷯尊に国事を分担させました。
巨大な陵墓:応神天皇の陵墓は、大和政権の強大な天皇権力を象徴するものとして、巨大なものが築かれました。
応神天皇の時代背景:大和政権の全盛期とされています。
朝鮮半島との関係が深まり、渡来人が多く来朝しました。
『宋書』倭国伝に登場する倭の五王の一人、讃(さん)が応神天皇(最初に宋へ朝貢した王)であるという説もあります。
応神天皇の治世は、日本の社会や文化に大きな影響を与えた時代として、歴史に名を残しています。
応神天皇を祀る神社は、全国に八幡宮として知られ、特に宇佐神宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮などが有名です。これらの神社は、応神天皇を「八幡大神」として祀り、武運や開運を祈る信仰の中心となっています。
応神天皇は、第15代天皇であり、武神、勝運の神として信仰されています。八幡神として全国に4万社以上ある八幡宮の総本社は、大分県の宇佐神宮です。
主な八幡宮:
宇佐神宮 (大分県宇佐市):八幡神の総本社であり、応神天皇、比売大神、
神功皇后を祀っています.
石清水八幡宮 (京都府八幡市):応神天皇、比売大神、
神功皇后を祀り、皇室の守護神として崇敬されています.
鶴岡八幡宮 (神奈川県鎌倉市):源氏の氏神として、武運を祈る神社として知られています.
筥崎宮 (福岡県福岡市):応神天皇、
神功皇后、
玉依姫命を祀っています.
- 菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)は、応神天皇の皇子で、古事記・日本書紀に登場する悲劇的な皇子です。仁徳天皇の弟にあたり、皇位継承をめぐる兄弟間の葛藤の中で自ら命を絶ったと伝えられています。
宇遅能和紀郎子
- 仲姫命(なかつひめのみこと)は応神天皇が八幡神として信仰されるようになると、その皇后である仲姫命は 八幡三神の比売神 に比定され、各地の八幡宮で祀られるようになった。
- 宮主宅媛(みやぬしやかひめ)は後に仁徳天皇の皇后となる 八田皇女(やたのひめみこ) の母
- ケヒ神(気比大神)は、福井県敦賀市の氣比神宮に祀られる海・風・穀物の神で、航海安全や五穀豊穣を司る重要な神格です。別名:御食津神(みけつのかみ)、伊奢沙和気大神(いざさわけのおおかみ)
- 硬石も酔人を避くる:酒に酔って理性を失うことは、社会的にも自然的にも忌避される行為であるという戒め。
- 大雀命(おほさざきのみこと)とは大雀命は 仁徳天皇の和風諡号。大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)
- 大山守命(おおやまもりのみこと)は、応神天皇の皇子で、皇位を巡る争いで水死した悲劇の皇子です。兄の仁徳天皇(大鷦鷯尊)や異母弟の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)と対立し、皇位簒奪を企てて失敗、宇治川で溺死した
- 函館八幡宮・北海道
- 石都々古和気神社・福島県
- 鶴岡八幡宮・神奈川県
- 那須神社・栃木県
- 那須温泉神社・栃木県
- 佐良志奈神社・長野県
- 櫻山八幡宮・岐阜県
-
気比神宮・福井県
- 石清水八幡宮・京都府
- 忌宮神社・山口県
- 長門国一宮 住吉神社・山口県 三大住吉
- 琴弾八幡宮・香川県
- 伊佐爾波神社・愛媛県
- 筑前國一之宮 筥崎宮・福岡県
-
宝満宮竈門神社・福岡県
- 千栗八幡宮・佐賀県
- 宇佐神宮・大分県
- 柞原八幡宮・大分県
- 藤崎八旛宮・熊本県
