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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。

どこへ行ったのか忘れてしまうので独遊庵の名所めぐり

聖徳太子厩戸王、厩戸皇子、豊聡耳皇子

飛鳥時代に「推古天皇」(すいこてんのう)の皇太子となり、摂政を務めた人物です。 天皇を中心とする中央集権国家を目指し、「蘇我馬子」(そがのうまこ)と協調して、政治・外交・仏教の普及に尽力した

聖徳太子は、推古天皇の摂政として、冠位十二階や十七条憲法を定め、天皇を中心とする中央集権的な国家体制を整えた人物です。また、遣隋使を派遣して隋との外交を活発化させ、国内では仏教を興隆させ法隆寺の建立にも関わったとされています。

天皇中心の国家体制確立
冠位十二階:家柄にとらわれず、能力のある者を登用する制度を導入しました。
十七条憲法:役人の心がまえや、天皇に従うことを示すなど、新しい国の仕組みをつくりました。
聖徳太子厩戸王、厩戸皇子、豊聡耳皇子遣隋使の派遣:607年に小野妹子を遣隋使として隋に派遣し、日本の国力や文化を隋に示しました。
日本と隋の対等な関係:「日が昇る国の天子から、日が沈む国の天子へ」という有名な手紙を送るなど、日本と隋が対等な関係にあることを主張し、正式な交流を開始しました。
仏教興隆:推古天皇の摂政として、国内での仏教の信仰と保護に努めました。
寺院の建立:法隆寺の建立にも関わったとされ、仏教文化の発展に貢献しました。

人物像
聡明な人物:幼い頃から聡明で、一度に10人の人の声を聞き分けられたという伝説が残っています。
聖徳太子という名称:生前の名前は厩戸王(うまやとおう)とされ、死後に「聖徳太子」という称号をつけられました。

南無仏太子像(2歳児)
朱色の袴をつけ、合掌して「南無仏」と唱える姿で描かれます。
2歳で亡きお釈迦様の涅槃(ねはん)を記念して東の空を拝み、仏を唱えたという伝説に基づいています。
孝養太子像(16歳児)
父・用明天皇の病気回復を願って、みずらに結った髪に袈裟(けさ)をつけ、手に柄香炉(えごうろ)を持って祈る姿です。
「孝養」は父を敬う意味を表し、小像ながらも威厳と叡智が感じられる表情で描かれることが多いです。
御影(成人)
最も古くからある肖像画で、頭を幞頭(ぼくとう)で覆い、太刀を佩(は)き、笏(しゃく)を持って立つ姿です。
「太子伝」に由来するこの姿は、太子が高僧や権力者であったことを示しています。

聖徳太子2歳で合掌して「南無仏」と唱える「南無仏太子像」、父の病気回復を祈る16歳の「孝養太子像」、そしてかつて一万円札にもなった太刀を佩き笏を持つ「御影」など、複数の姿が存在します。

雑学
香典でピン札がマナー違反とされる理由
不幸を予期していた印象を与える:ピン札は銀行などで新しく準備する必要があるため、「不幸が起こることを予測していた」と受け取られ、ご遺族に対して失礼だと考えられます。
弔事の心境とのずれ:弔事では、突然の訃報に接し、準備が整わない状況で香典を用意したという心情を示すために、使用済みの古札が用いられます。

ピン札しかない場合の対処法
折り目を付ける:手元にピン札しかなく、旧札を準備する時間がない場合は、お札の中央に一度だけ折り目をつけましょう。
折り目で使用感を出す:この折り目をつける「ひと手間」によって、「急いで準備した」という気持ちを表現できます。
きれいな状態を選ぶ:ただし、あまりにも汚れていたり破れていたりするお札は、香典の場にふさわしくありません。適度に使用感のあるお札を選ぶことが大切です。
聖徳太子 厩戸王
その他のマナー
お札の向きを揃え:香典袋にお札を複数枚入れる場合は、お札の向きをすべて揃えて入れます。一般的には、香典袋の表面を自分の方に向けて開けた際に、肖像画がない裏面が見えるように入れるとされています。
奇数のお札を選ぶ:金額は奇数(例:5千円、1万円など)が基本です。
袋を汚さない:ボロボロのお札は、香典袋を汚してしまう可能性もあるため避けましょう。

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  • 第33代天皇「推古天皇」(すいこてんのう)は、30代「敏達天皇」(びだつてんのう)の后(きさき)です。 32代「崇峻天皇」(すしゅんてんのう)が592年(崇峻天皇5年)に殺害されると、日本、及び東アジアで初めての女帝として即位しました。聖徳太子の叔母でもある。