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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。

どこへ行ったのか忘れてしまうので独遊庵の名所めぐり

大徳寺(だいとくじ)京都府京都市北区紫野大徳寺町53

龍寶山大德禪寺(りゅうほうざん だいとくぜんじ)
臨済宗大徳寺派の大本山で、1315年に宗峰妙超(大燈国師)が開いた日本禅宗史の中心寺院です。 室町〜戦国〜安土桃山期にかけて、武家文化・茶道文化(千利休)・禅文化の核となり、現在も 22の塔頭寺院 を擁する巨大な禅宗複合寺院です。
京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や法堂をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。
「一休さん」のモデルとなった一休宗純や天下人たち、さらに茶聖・千利休と深いゆかりを持つ、日本文化(特に茶道や禅宗美術)の聖地。

・一休さんによる復興: 室町時代の応仁の乱で荒廃しましたが、大徳寺の住職となった一休宗純が堺の豪商らの援助を得て見事に復興させました。

・織田信長と豊臣秀吉: 本能寺の変の後、豊臣秀吉が織田信長の盛大な葬儀をこの大徳寺で執り行いました。信長の菩提を弔うために塔頭「総見院」を建立したのを契機に、多くの戦国武将(前田利家、石田三成、細川忠興など)が次々と塔頭を競うように建立し、隆盛を極めました。
・千利休の切腹事件: 天正17年(1589年)、千利休が山門(金毛閣)の二階部分を増築し、そこに自身の木像を安置しました。「門をくぐる秀吉を踏みつける形になる」と秀吉の激怒を買い、これが利休切腹の決定的な引き金になったという歴史的逸話が残っています。

山号: 龍寶山
院号: 不明
宗旨: 臨済宗
宗派: 臨済宗大徳寺派
寺格: 大本山 京都五山 → 林下
本尊: 阿弥陀如来
創建年: 正和4年(1315年)もしくは元応元年(1319年)
開山: 宗峰妙超
正式名: 龍寶山大德禪寺
文化財: 方丈、唐門、絹本墨画淡彩観音図・猿鶴図ほか(国宝)、勅使門、山門、仏殿、法堂、木造大燈国師坐像ほか(重要文化財)、方丈庭園(国史跡・特別名勝)

【見どころ】
広大な境内には、重要文化財の「七堂伽藍(勅使門・山門・仏殿・法堂)」が南北一直線に美しく並び、その周囲を20以上の「塔頭(たっちゅう)」と呼ばれる小院が取り囲んでいます。
・大仙院(だいせんいん):本堂は日本最古の「床の間」と「玄関」をもつ方丈建築で、国宝に指定されています。
・龍源院(りょうげんいん):室町時代に創建された禅宗方丈建築の本堂、唐門、表門は重要文化財に指定されています。
・ 瑞峯院(ずいほういん):キリシタン大名・大友宗麟の菩提寺。力強い波を表現した、昭和の名造園家・重森三玲作の枯山水庭園が見どころ
・高桐院:戦国時代の名将・細川忠興と妻の細川ガラシャが眠る場所とされています。
・黄梅院:1562年に織田信長が父・信秀の追善菩提のために建立した寺院で、春と秋に特別公開されます。

 


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