旧嵯峨御所大覚寺門跡(きゅうさがごしょ だいかくじ もんぜき)
嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。
① 般若心経の「写経の根本道場」平安時代(818年)、大旱魃と疫病が全国に蔓延した際、弘法大師空海の勧めで嵯峨天皇が自ら一字三礼の誠を尽くして「般若心経」を浄書(写経)されました。すると疫病がたちまち治まったという伝説があります。
このときの嵯峨天皇直筆の心経は「勅封(ちょくふう)心経」として大覚寺に奉安されており、60年に1度しか開封されない秘宝です。そのため、大覚寺派は日本における「写経の聖地」とされています。
② いけばな「嵯峨御流(さがごりゅう)」の家元大覚寺はいけばな発祥の地としても有名です。嵯峨天皇が境内の大沢池(おおさわのいけ)に咲く菊を愛でて花瓶に挿したことが始まりと伝えられており、現在も大覚寺の門跡(住職)が「いけばな嵯峨御流」の総裁(家元)を兼任しています。
③ 歴史の舞台「大覚寺統」と南北朝の和議鎌倉時代、後嵯峨法皇や後宇多法皇らが大覚寺を拠点として院政を行ったため、この皇統は「大覚寺統(のちの南朝)」と呼ばれました(対する北朝は持明院統)。のちに足利義満の仲介によって南北朝の和解(明徳の和約)が行われたのも、この大覚寺の境内です。
境内の見どころ
大沢池(おおさわのいけ):日本最古の人工の庭池といわれ、中国の洞庭湖を模して造られました。観月の名所。
宸殿(しんでん)と正寝殿(しょうしんでん):御所から移築されたもので、安土桃山時代の華麗な障壁画(襖絵)が残されています。
表門
村雨の廊下

大沢池 池舞台
心経宝塔
茶光塚

勅使門
村雨の廊下 床はうぐいす張り