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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。

どこへ行ったのか忘れてしまうので独遊庵の名所めぐり

信濃国分寺長野県上田市国分

信濃国分寺(しなのこくぶんじ)
奈良時代の天平13年(741年)に聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」によって、国家の安泰や五穀豊穣を願う鎮国道場として、信濃の国(現在の長野県)に創建されました。地元では本堂の別称から「八日堂(ようかどう)」の名でも広く親しまれています。
「国やすらかに人たのしみ、災いをのぞき福いたる」という聖武天皇の天平13年(741)の勅願により、国ごとに国分寺が創建されましたが、信濃国分寺は信濃の国の鎮国道場として、また人々の心のよりどころとして1300年近い法灯を現在に伝えております。
平安時代の承平8年(938年)、平将門の乱(国分寺河原の戦い)に巻き込まれて一度は全焼してしまいました。しかし、村人たちが命がけで御本尊の薬師如来像を運び出し、のちに源頼朝らの支援や地元の民衆の力によって、鎌倉・室町時代にかけて現在の場所へ再建
創建された場所は、現在の長野県上田市にあった信濃国の国分寺跡で、発掘調査によって僧寺と尼寺が並ぶ伽藍配置が確認されています。昭和の発掘調査により、創建当時の信濃国分寺は現在の境内の少し南側にあったことが分かっています。「僧寺(男子僧のお寺)跡」と「尼寺(尼僧のお寺)跡」が隣り合って綺麗に遺されていたため、現在は「信濃国分寺史跡公園」として整備・保存されています。
宗派: 天台宗
本尊: 薬師如来
寺格国分寺
札所等: 中部四十九薬師霊場第一番

● 三重塔(国指定重要文化財) 室町時代中期の建立と推定 高さ約20.1m
● 本堂(薬師堂) 江戸末期(万延元年・1860)竣工

2024年10月

信濃国分寺信濃国分寺鐘楼信濃国分寺信濃国分寺三重塔
寺伝では、建久8(1197)年に源頼朝が善光寺参詣の帰途、寺の衰退を憂い、塔の復興を命じたという。建築様式から、室町時代に建立されたものと推定され、「和様」の外観は堂々と落ち着いた雰囲気を呈している。信濃国分寺信濃国分寺信濃国分寺信濃国分寺信濃国分寺信濃国分寺

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