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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。

どこへ行ったのか忘れてしまうので独遊庵の名所めぐり

親鸞(しんらん)

鎌倉時代の仏教者であり、日本の仏教宗派の中で最大の信者数を持つ浄土真宗(一向宗)の開祖で鎌倉仏教の宗祖とされています。法然を本師として、浄土往生を説く教えを継承し、阿弥陀如来の本願を絶対に信じる「他力本願」の教えを体系化し、日本仏教史を大きく転換させた。
「ただ念仏を唱えれば救われる」という教えをさらに深め、民衆へ広めました。親鸞(しんらん)
  • 生まれ: 1173年5月21日, 平安京 下級貴族の長男として生まれました。幼くして両親を失った
  • 出家と修業:9歳で比叡山に入り20年間過酷な修行を積むも、自力での悟りに限界を感じて下山。
  • 法然との出会い:29歳の時、吉水で法然上人の弟子となり、「他力本願(阿弥陀仏の救い)」の教えに傾倒。
  • 念仏による平等の救いは民衆の光となる一方で、古くからの仏教集団や権力者の反感を買います。
  • 流罪と「非僧非俗」:1207年には朝廷より僧侶の身分を解かれ、親鸞は越後に流罪となりました。幕府の念仏弾圧により越後(新潟県)へ流罪。僧侶の資格を奪われるも、自らを「僧にあらず、俗(凡夫)にあらず」という意味の「非僧非俗」と称し、妻を娶り肉を食べ(肉食妻帯)、民衆と同じ目線で教えを説き続けた。
  • 越後(新潟県):流罪となり、約5年間滞在しました。越後では、念仏の教えに触れ、帰依した人々の足跡を辿ることができます。
  • 関東での布教:免罪後は関東(常陸国など)へ渡り、農民や庶民に親しみやすい言葉で阿弥陀仏の教えを広めた。
    常陸(茨城県):20年間、布教活動の中心となった場所です。稲田に草庵を結び、念仏の教えを広めました。
  • 死去: 1263年1月16日, 京都府 京都市 晩年、京都に戻り、そこで生涯を終えました
  • 配偶者: 恵信尼 (1210年 - 1263年)
【親鸞の教え】
阿弥陀如来の本願を信じ、阿弥陀如来の名号である南無阿弥陀仏を称えることで、生きとし生けるものすべてが仏になることができる。修行によるのではなく、念仏で阿弥陀仏への感謝を称えて極楽往生を果たす「他力念仏」
・他力本願:自分の努力(自力)で善行を積むのではなく、阿弥陀仏の「絶対的な救いの力(他力)」にすべてを任せること。
・悪人正機説(あくにんしょうきせつ):「善人なおもて往生をとげる、いわんや悪人をや」という言葉で有名。自力で救われない愚かな凡夫(悪人)こそが、阿弥陀仏の救済の主たる対象であるという教え。
・主著:『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)。なお、親鸞の教えや言葉を弟子の唯円がまとめた『歎異抄』(たんにしょう)も広く知られています。

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