坂東33観音霊場 第27番札所であり、ご本尊は十一面観世音菩薩(秘仏)。
宗派は、真言宗系単立。「真言宗」とされていることが多いものの、特定の真言宗の派に属さず、単独で活動する単立の寺院。
「飯沼観音」として親しまれる真言宗の古刹です。約1300年の歴史を持ち、神亀5年(728年)に漁師の網にかかった十一面観音像を安置したのが始まりと伝えられています。
主な特徴
飯沼観音:地元では「ちょうしのかんのんさま」と呼ばれ、信仰を集めています。
坂東三十三観音霊場:関東地方の巡礼で有名な坂東三十三観音霊場の第27番札所です。
飯沼水準原標石:境内には、日本における河川測量の原点とされる重要な記念碑「飯沼水準原標石」があります。
寺宝:貴重な「嵯峨本」と呼ばれる本や、日本最大級の刺繍涅槃図などの寺宝を所蔵しています。
飯沼観音句碑:江戸時代に「ほととぎす、銚子は国のとっぱずれ」と詠んだ俳句の句碑が境内にあり、銚子を象徴する一句となっています。
門前町:かつて飯沼観音を中心に銚子の市街が門前町として発展し、今日までその名残が見られます。

*神亀五年(728)の春、銚子の浦が荒れて漁ができなくなり五月に皷が淵の沖の海上が光り輝いたある夜、漁師の清六が、「輝いているところで牛堀の漁師長蔵とともに漁をせよ」との霊夢を見た。
翌朝、沖に出ると同じ霊夢を見た長蔵が対岸から来たので、二人で網をおろしたところ、左の脇に瑪瑙(めのう)をはさんだ
十一面観音が出現した。二人は出家して草庵を結び尊像を安置加持して諸人の病を癒したので、虐除(ぎゃくよけ)法師と呼ばれたと伝えられる。
天平年間(729~749)になり、
行基菩薩がこの奇瑞を耳にして、厨子を作って奉納した。しかし尊像のほうが少し大きくて入らなかったので、行基が祈願すると、尊像は首をたれて、みずから厨子に入ったという。
後に、
弘法大師が東国を巡錫した弘仁年間(810~824)、この尊像を拝したが、海中出現のままの姿だったので、台座や光背を作り、開眼供養をおこなった。そして、下総国の守護千葉氏の系統を引く海上長者が、尊像と大師に帰依して、壮大な伽藍を天生六年(1578)建立したとされる。
その後、安永二年(1773)に10間四方の銅葺に改築され仁王門、鐘楼堂、多宝塔、大師堂など大小さまざまな建物が整備され、戦前まで豪壮な姿を見せていたが、太平洋戦争で堂宇は焼失した。
2009年4月
ご近所