大国主神(オオクニヌシ)が治めてきた豊葦原瑞穂の国を、天照大御神の子孫である天孫(スメラミコト=敬い尊んで呼ぶ言葉)に譲るという神話です。大国主神の国である出雲の地を、天照大御神の子孫が治めるべきとされたことを、天上の神々が地上に降り立って交渉し、最終的に大国主神が国を譲り、出雲大社を建立する
大国主(オオクニヌシ)が出雲の美保崎にいた時、小人のような神がやってきた。
その小さな神は、一寸法師のように小さなガガイモの実の殻の船に乗り、みそさざいの皮を丸剥ぎにしたものの服を着ていた。

名前を聞いても答えないから、御供に聞いたが、わからない。するとヒキガエルが、「カガシなら知っている」と言ったので、カガシに聞いてみた。
すると、高天原の
神産巣日神(カミムスヒ)の子で
少名毘古那(スクナビコナ)の神だと教えてくれた。
大国主(オオクニヌシ)は、さっそく高天原の
神産巣日神(カミムスヒ)に伝えに行くと神産巣日神(カミムスヒ)は、間違いなく指の隙間から落ちた我が子だと認めた上で、この子「
少名毘古那(スクナビコナ)の神」と国造りを進めるようにと命じた。
二人で国造りを進めていが、事のならないうちに少名毘古那(スクナビコナ)は常世国(とこよのくに)へ行ってしまった。
一人になった
大国主(オオクニヌシ)は「一人ではできない」と嘆いていた。
すると、
大物主(オオモノヌシ)の神がやってきて言った。
「私の為に宮殿をつくり祀ってくれるのなら一緒に国造りをしてもよい」
大国主(オオクニヌシ)は、大物主(オオモノヌシ)の神を大和の三輪山の上に祀った。
おかげで出雲はどんどん勢力を広げていった。
その頃、高天原では
天照大御神(アマテラス)が、葦原の中つ国(あしわらのなかつくに)は天つ神が治めさせようと考えていた。

アマテラスは、自分と
スサノオの誓約で生まれた
天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)に国造りをさせようとしたが、天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)は「葦原中国は騒がしく乱れている」と言ってすぐに戻ってきた。
そこで、アマテラスと
タカミムスヒは八百万の神を集めて会議を開いた。
葦原中国には乱暴な国神がたくさんいて、すでに国を治めている、どの神を使わせれば服従させられるのかと
思金神(オモヒカネ)と八百万の神たちに聞くと「
天菩比神(アメノホヒ)」を指名してきた。
早速、天菩比神(アメノホヒ)を送りこんだが、
大国主(オオクニヌシ)に媚びへつらって3年たっても戻らなかった。
アマテラスとタカミムスヒはまた、八百万の神にきいてみた。
「天菩比神(アメノホヒ)は戻ってこないから、他の神を送るとしたら誰がよいか?」
思金神(オモヒカネ)は今度は「
天若日子(アメノワカヒコ)」を指名した。

そこで、天若日子(アメノワカヒコ)に弓と矢を授けて送り出した。
しかし
大国主(オオクニヌシ)の娘の
下照比売命(シタテルヒメ)を妻にして、国を自分の物にしようとたくらみ8年戻らなかった。
アマテラスと
タカミムスヒはまた八百万の神に聞いてみた。
「天若日子(アメノワカヒコ)が全然戻ってこないから。また誰かを送って天若日子(アメノワカヒコ)が戻らない理由を知りたい。」
次に
思金神(オモヒカネ)は「鳴女(ナキメ)という雉(きぎし)」を指名した。
「鳴女(ナキメ)」飛んでいき、木にとまりなぜ8年も帰ってこないか、
天若日子(アメノワカヒコ)に尋ねたところ、アマテラスが授けた矢で天若日子(アメノワカヒコ)に殺されてしまった。
矢が刺さったままの「鳴女(ナキメ)」は空へ空へと射上げられアマテラスとタカミムスヒのところまで届いた。
アマテラスとタカミムスヒは、「この矢が悪い神を射るのに放たれた矢なら天若日子(アメノワカヒコ)には当たらない!もし、邪心を持って射った矢なら天若日子(アメノワカヒコ)をこの矢で死なせろ!」と言って矢を突き返した。
矢は天若日子(アメノワカヒコ)の胸に刺さり、たちどころに死んでしまった。

大事な夫に死なれて、天若日子(アメノワカヒコ)の妻
下照比売命(シタテルヒメ)の泣く声は天まで届き、天若日子(アメノワカヒコ)の父天津国玉神(アマツクニタマ)と妻も下界に降りて悲しんだ。
葬儀用の仮小屋に、
阿遅鉏高日子根(アヂシキタカヒコネ)の神が
天若日子(アメノワカヒコ)を弔いに来たところ、その顔も姿かたちも天若日子(アメノワカヒコ)にそっくりだったので、父天津国玉神と妻は天若日子(アメノワカヒコ)が生き返ったと喜んだ。
すると、死人と間違われた阿遅鉏高日子根(アヂシキタカヒコネ)の神死人と間違われ、激怒して仮小屋を蹴散らして飛び出してしまった。
事がたびたび失敗したので、
アマテラスは一体どの神を使わせればうまくいくのか、また八百万の神に尋ねた。
思金神(オモヒカネ)は
伊都尾羽張(イツノオハバリ)の神またはその子である
建御雷之男神(タケミカヅチ)を指名した。
伊都尾羽張(イツノオハバリ)の神のところへは、
天迦久神(アメノカク)に行かせ、快諾してくれたので建御雷之男神(タケミカヅチ)は
アメノトリフネとともに出雲の伊那佐の浜に降りたった。

建御雷之男神(タケミカヅチ)は十掬剣(とつかのつるぎ)を逆さまに立て、その刃先にあぐらをかいて座って
大国主に向かって「アマテラスの命をうけてここに来たが、お前国の主としている葦原中国は、我御子が治めるべき国だと申しているが、お前の考えは?」と。
大国主は自分自分の一存では答えられないので、子である
八重言代主神(ヤヘコトシロヌシ)に返事をさせると言った。
しかし、今は鳥や魚を取りに御大の崎(三保の崎)に行っていいるというので、アメノトリフネに呼び戻させると、八重言代主神(ヤヘコトシロヌシ)は、この国を天神の御子にさし上げましょうと行って姿を消した。
建御雷之男神(タケミカヅチ)は、他に相談したい子はおらぬかと
大国主にたずねたら、自分にはもう一人
建御名方(タケミナカタ)の神という子がおりますと答えた。
そうこうしていると建御名方(タケミナカタ)の神が帰ってきて、力比べで決めようと言い出した。
建御名方(タケミナカタ)が建御雷之男神(タケミカヅチ)の手を引っ張ると、建御雷之男神(タケミカヅチ)の手はたちまち氷の棒に変じさらに剣の刃になった。

次に、建御雷之男神(タケミカヅチ)が建御名方(タケミナカタ)の手を掴むと手の力が抜けて葦のようにふにゃふにゃになってしまった。
建御名方(タケミナカタ)は信濃の国まで逃げ出した。
追い詰められた建御名方(タケミナカタ)は、「ここ以外の所へは行かないし、葦原中国は天神の御子へ差し上げます」言った。
建御雷之男神(タケミカヅチ)は、
大国主のところへ戻りどうするつもりかと尋ねた。
すると大国主は、葦原中国を譲る代わりに大きい社を建ててくれと交換条件をだした。
自分の子供である百八十神と
事代主を天つ神に仕えさせ、自分は出雲で隠居生活をすると約束した。
建御雷之男神(タケミカヅチ)は高天原に戻りアマテラスに葦原中国を命令通りに平定したことを伝えた。
この交換条件で建てられた社が「出雲大社」の起源になった。
天孫降臨(
ニニギ)へ続く
- 大国主おおくにぬし=大穴牟遅神オオナムチ
- 天菩比神(あめのほひのかみ/天穂日命):天照大御神の子(または姉妹神との誓約から生まれた神)であり、国譲りの際に高天原から葦原中国(地上)へ派遣された使者ですが、大国主神に心服して帰還しなかったとされる神です。一方で、出雲国造(いずものくにのみやつこ)の祖神とされ、出雲側では大国主神を助けて国造りを成功させた功労者
- 天若日子(アメノワカヒコ)は、葦原中国の平定のため高天原から遣わされた神です。彼は出雲に降った後、大国主命の娘である下照比売命と結婚し、そのまま復命せず過ごしました。詰問のために派遣された雉を射殺しますが、その際に父・高御産巣日神から返された矢に当たって死んでしまいます。味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)にそっくり
- 下照比売命(したてるひめのみこと):父は大国主命、 母は田心姫神(宗像三女神の長女) 兄弟は阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ/迦毛大御神)など。
- 天迦久神(あめのかくのかみ/天迦久命):天照大神が「葦原中国(あしはらのなかつくに=地上世界)」を皇孫に治めさせようとした際、最初に派遣された神が天迦久神。
しかし大国主神はこれに従わず、天迦久神は任務を果たせなかった。
その後、天穂日命や天若日子などが次々に派遣され、最終的に建御雷神(たけみかづち)が国譲りを成功させる。
- 伊都尾羽張神(いつおはばりのかみ):伊邪那岐命(イザナギ)が火神カグツチを斬り殺した際に用いた神剣そのもの、またはその神を指し、『古事記』では天之尾羽張神(あめのおはばりのかみ)、『日本書紀』では稜威雄走神(いつのおはしり/いつのおばしりのかみ)とも呼ばれ、その剣から多くの神々が生まれたとされます。神名には「鋭く張った刃」や「雄々しい大蛇」といった意味が込められ、雷神・建御雷神(タケミカヅチ)の親神とも
- 天鳥船神(あめのとりふねのかみ):「船」を司る神で、イザナギ・イザナミの子神であり、『古事記』では国譲り神話でタケミカヅチ(建御雷神)と共に葦原中国(あしはらのなかつくに)へ派遣され、国譲り交渉を助けた神です。別名「鳥之石楠船神(とりのいはくすぶねのかみ)」とも呼ばれ、鳥のように速く、石のように堅固なクスノキの船を意味し、船そのものを神格化した存在