官幣大社、勅祭社、名神
三大神宮、
下総国一之宮
約400社ある香取神社の総本社。
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。
古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く、特に『神宮』の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されており、中世以降は下総国の一宮、明治以後の社格制では官幣大社に列し、昭和17年、勅祭社に治定され今日に至っています。
奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでいて、広く尊崇をあつめています。
御祭神:経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
創建: 神武天皇18年(紀元前643年)
ご利益:勝運、交通安全、災難除け、厄除け、安産、心願成就、縁結び、家内安全、商売繁昌、 道開き
はるか昔、高天原(天上の神々の国)を治めていた
天照大神(あまてらすおおみかみ /
伊勢神宮・内宮の御祭神)は、葦原中国(あしはらのなかつくに / 現在の日本)は自分の息子が治めるべきだとお考えになりました。
葦原中国は荒ぶる神々が争い乱れていたため、天照大神が八百万神に相談すると、
天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の
大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、
天穂日命は大国主神に従い家来になってしまいました。
次に
天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた忠誠の心なく、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、
天照大神の元に戻りませんでした。
このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、
経津主神こそふさわしいと言いました。 そこへ
武甕槌大神(たけみかづちのかみ /
鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなりました。
出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、
大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲りました。
二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、
天照大神の元へ復命されたのです。
2025年12月

大鳥居

護国神社

要石 鹿島神宮の要石とつながっているとか?

総門

手水舎

楼門

本殿

祈祷殿

船、香取の錨

本殿

御神木

鹿がいた
2024年12月

朱塗の大鳥居


香取護國神社(かとりごこくじんじゃ)

要石(かなめいし)
古くより、この地方は大変地震が多く、人々はとても恐がっていました─これは、地中に大きなナマズが住み着いて荒れ騒いでいるのだと。香取・鹿島両神宮の大神様等は、地中に深く石棒を差し込み、大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。
当神宮は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し、深さ幾十尺と伝えられています。貞享元年(一六八四)水戸光圀公が当神宮参拝の折、これを掘らせましたが根元を見ることが出来なかったといわれています。

総門
楼門内安置の随身は俗に左大臣右大臣と呼ばれていますが、正面向かって右の老人像は「竹内宿祢」、左の壮年像は「藤原鎌足」と伝えられています。 また楼上の額は
「東郷平八郎」の筆によるものです。



2019年12月


2010年4月


